10年代の10枚
なんかTLで話題になってたので考えてみた。
andymori - ファンファーレと熱狂 (2010)

andymoriが解散してなければ、日本のロックは何か変わっていたか?というと何も変わらなかったと思うが(この話前にもしたな)、皆好きだったよなandymori。当時は、初期衝動を叩き付けつつも「Life in Party」のような真実を射抜くバラードも入っていた1stに比べると深みは増したものの大人しくなっちゃったな、と思って個人的評価は下げ目だった。小山田壮平の澄んだ詩情は、リバティーンズも、四畳半フォークも、バックパッカーも、教会のシスターも、渋谷の女子高生も、トラックの運ちゃんも、全て飲み込んでいく。
Wavves - King of the Beach (2010)

USインディ界のグリーン・デイ、みたいな音楽性が凄く好きだった。ラフでキャッチーなポップ・パンクと、リバービーな音像が同居するのは小さな発明だと思ったし、こういうバンドがやりたかったんだよ!と思った。Best Coastの人と付き合っているっていうのも良かった。The Drums、Girls、MGMT、The Morning Benders、Animal Collective、Times New Viking……。皆気だるくて夏っぽくて本当に楽しかった。これこそが俺のサード・サマー・オブ・ラヴだった。ローファイ・リバイバルとでも、ビーチ・ブームとでも、シットゲイズとでもいえばいいのだろうか、俺は2010年の茹だる夏に、完全に浮かれていた。
The Pains of Being Pure at Heart - Belong (2011)

俺がドリームポップみたいな宅録を作り始めた理由は、For Tracy Hydeの前身ユニットであるdaydropの存在が大きい。もちろんそれだけでなく前述のローファイブームみたいなところの影響もあるし、思い返せば明らかにシューゲイザーリバイバルは巻き起こっていた。それで、やはり自分も含めた有象無象のドリーム・ギター・ポップをやる奴らの精神的支柱となったのはペインズだろうと。Twitter始めるまで知らなくて、慌てて1stを買った記憶もある。『Belong』は、ヴァセリンズやエクスタシー&ワイン期のマイブラのような1stの音楽性から少し変化し、空間系エフェクトを使ったりシンセをちゃんと(?)ちりばめたり、大胆にスマパンを引用したりして、ロックバンドとしてスケールアップした快作である。そういう意味では1stよりもシューゲ/ドリームポップとも言える、とかとある媒体でも言われていた。2023年、アラフォー独身男性となった自分は今になって彼らが『Belong』と題した意味がよくわかる(「属する」という意味だが、ここでは「どこにも属せない」という孤独感をテーマにしたものだろう)。
ASIAN KUNG-FU GENERATION - ランドマーク (2012)

テン年代の始まりを告げた祝福のサウンド『マジックディスク』を経て、言葉遊び的なコンセプトで作り始めたアルバムが震災の影響により半ば瓦解し、とことんシリアスになっているし、音楽的にもマジックディスクを引き継く楽曲とギターロックに回帰した楽曲が入り混じっており、中途半端という評価もあるだろうが俺はそこが聴きどころだと思う。俺は皮肉屋な時の後藤正文が好きであり、本作にはボロボロになったこの社会(それは2023年の社会と何も変わらないのだが)の現状を描いた痛々しい言葉が多く書き留められているが、最後に彼は祈りを込めることを忘れない。行動無き祈りは無意味なのかもしれないが、俺は祈る。「喜びは流れる水のよう/救い上げたてのひらから/するりとこぼれ落ちた/それでも繰り返すように/ささやかに両手を濡らす」。
Galileo Galilei - PORTAL (2012)

世代的にBUMP OF CHICKENの影響から抜け出せなくても、それでも、英米のインディーロックと同等の感覚で音を作ることが出来る。勇敢な一枚だ。同時に、無邪気な一枚でもある。北海道に帰り(彼らの出身自体は稚内だが)、札幌で自らのスタジオで共同生活を送りながら、買い込んだ大量のシンセで遊び倒す生意気なガキ共。サカナクションがブレイクした時、テクノやダンスミュージックを取り入れていたころのくるりやスーパーカーがやった冒険をソフィスケートしたもののように感じてしまいモヤモヤしたことがあったが、この頃のガリレオ・ガリレイのほうが本質的にあの頃のくるり・スーパーカーに近いだろう。日本にシンパシーを感じるバンドはいないくらいのことをインタビューで言っていた記憶があり、本当に生意気でたまらなかった。岸田繁も「エイフェックスツイン聴いて勉強する、みたいな時期があった」らしいので、まさしくだねって感じ。多くの人が既に指摘するように「青い栞」はテン年代の「ばらの花」だろう。ガリレオにはこれ以降にも傑作はあるが、やっぱりこの魅惑的なサウンドスケープを超える盤は今のところは無いかな。
Washed Out - Paracosm (2013)

ブルックリンのインディー・ロックやシットゲイズ、シューゲイザー・リバイバル……そんな世界に飛び込んだ自分にとって、「チル・ウェイヴ」というブームにも自然と乗ることになった。インターネット発?エスケーピズム?最高じゃないか。だが、その音楽性を引き継ぎつつ現れた「ヴェイパーウェイヴ」には乗れなかった。あまりにアンダーグラウンドなシーンに見えたし、なぜ露悪的に日本の昭和のテレビCMをサンプリングし不気味なサウンドを作るのか、俺には分からなかった。サマー・オブ・ラヴを楽しんでいた俺だったが、新しいムーブメントに乗れなかった。俺にとってのロックの歴史はここで一度終わった。最後の正統なロックンロールアルバムはWashed Outの1st『Within and Without』となった…はずだった。だが、近年この2nd『Paracosm』を聴いたらこのトロピカルな南国感をスパイスにつつも王道のドリーム・ポップという趣だったのでこっちのほうが好きだわ!となった。1stはビートが強い曲も多くて、そりゃあ「チル」の部分だけじゃなく「ウェイヴ」の部分もあるわけだからねぇ(というよりはクラブミュージックってことなんだろうけど)、でも俺その部分要らないかもですわ、「チル」だけで十分っすとなった。じゃあ最初から大人しくドリームポップを聴けよ。
きのこ帝国 - フェイクワールドワンダーランド(2014)

今「クロノスタシス」がミーム化しているとはいえ、CMでカヴァーバージョンが流れたりダウ90000がコントで引用したりしているのは、まぁ普通に気分が良い。所謂オルタナティヴ・ロック的音楽が世間に受け入れられたわけではなく、佐藤千亜妃というSSWが受け入れられた、というだけのことであったとしても。まぁ世の中そんなもんだ。本作は、『渦になる』や『eureka』ほど怒ったり哀しんだりしているわけでもないが『タイム・ラプス』ほど呑気に人生を肯定しているわけでもない。ギターがジリジリと歪んでいる曲も多いが、『愛のゆくえ』に繋がっていくダビーな路線の「クロノスタシス」もある。ART-SCHOOLあたりのバンドから継承したであろう、爽快なギター・ロックに絶望的な詩が乗るスタイルの「Telepathy/Overdrive」はやはり最高だ。佐藤千亜妃という作家の多面性が詰め込まれた、というよりは単に過渡期だったのかもしれないが幸福な時期のアルバムで、「邦オルタナティヴ・ロック」みたいな言い方が仮にあるとするならそのテン年代の傑作だろう(『ロンググッドバイ』のような内容がフルアルバムで聴けたなら断然それが最高傑作だっただろうけど)。
cero - Obscure Ride (2015)

ちゃんと通して聴いたのは今年だ。唸る内容だった。ここ数年でようやくブラックミュージック/ファンク的なものに順応しつつあるのでようやく本作を多少理解出来る耳になった。方舟を座礁させる「Yellow Magus 」を聴くとどことなく現代人への警鐘を鳴らしているように思え、また、ネットで検索すればRadiohead『Kid A』『Amnesiac』との歌詞の共通点について考察する文章が出てくる通り、俺はそういう音楽として受け取った。ただ、生者と死者が入り混じる世界、転生、パラレルワールドをモチーフ(つーか裏設定?)とする歌詞にラノベっぽい軽さを感じなくもなくなくなくないが、それも日本版ってことなのだろう。この時期の彼らが「スチャダラパーとかっぽい」とか言われてSMAPと共演したのも、テン年代邦楽の幸福な瞬間の一つだったろうし、日本における90'sリバイバルのピークでもあっただろう。
本作の「もしディアンジェロをはっぴいえんどが演奏したら、をマジで取り組んだ」みたいな黄色人種的ファンク・ポップは未だに(シティ・ポップという言葉の範疇の一つとして)強い磁場を放っているように思えるし、実際本作は「偉業」だったと思うが、前作の『My Lost City』や本作以降の『POLY LIFE MULTI SOUL』『eo』を聴くと、彼らの本質はそこにはなく、この人達はもっとインディ・ラヴァーでかつ多種多様な音楽をパッチワークしていくバンドな気がする。それこそRadioheadがチャールズ・ミンガスのようなジャズからオウテカのような電子音楽までかき集めたように。
syrup16g - darc (2016)

ここまでのリストを読めばわかるように、EDMも東京インディーもアンビエントR&Bもなければヒップホップすら1枚も無いリストなのはもう許してほしい(トロピカルハウスはちょっと好きだった)(アンビエントR&Bだとソランジュはちょっと聴いてたが)。そういった保守的というか、俺の趣味というか、そういうものが一番出たチョイスがこのsyrup16gのアルバムだ。
休んでいた期間もあるもののコンスタントに作品をリリースし全国ツアーもするという、再結成後の今のほうが全盛期なのでは?とすら思う。00年代ギターロック界の冨樫義博なバンドだと思っていたので、これは本当に幸せな状況だ。10年代はsyrup16gが精力的に活動したディケイドと言っても過言では無い。過言か。
00年代にsyrup16gやART-SCHOOLを聴いていたような繊細な少年少女たちは、今どうしているだろう?よく考える。なんやかんや社会に溶け込んで幸せに暮らしているのか。バリバリ働いているのか。家庭を築いているのか。もう死んじゃってるのか。俺のように、ギリギリのところで生きているんだろうか、それはわからない。ガキの泣き事を歌うような青臭いロックバンドが年をとって大人にならざるを得なくなった場合、どうするのかということもよく考える(大人になる前に解散する、がベストアンサーな気もするが)。木下理樹は長い休養期間を経て、2023年においても過去に使ったモチーフをセルフ・オマージュすることでガキの泣き事を再生産した(悪い事だとは言っていない)が、対して五十嵐隆は、等身大とも言えるアラフィフの悲哀を歌っている。繊細な青年がそのまま年をとったら繊細なおっさんになったよ、へへへ、でもまだ生きてるぜ。必死に。そう言っているように聞こえる。俺は鉄砲を持っている。でも水鉄砲だ。人を殺すことは無いが、自分を守ることもない。でも鉄砲だ。へへへ。そういうことなんだろう。「Find the Answer」は完全に俺のような人間に対して歌われている。ロックの幻想を持ち続けたまま、繊細なまま社会と折り合いをつけて生きることについての歌だ。サビに入る瞬間のカタルシスはかつての彼らの名曲に全く劣っていない。
Vampire Weekend - Father of the Bride(2019)

インディーロックファンの最大公約数として、2nd『Contra』(2010年)を挙げようと思ったのだが、1stの「A-punk」や3rdの「Step」のようなキラーチューンが入ってないよなぁと個人的に思っていて、それならこの4thでいいじゃん!となった。もう4年も前になるのか…。
2008年の「A-punk」を初めて聞いたときは現代のネオアコか?とか思ったのだが俺のただの勘違いというか無知で、僕らの時代のトーキング・ヘッズみたいな評価のほうが正しそうだが、本作ではPrimal Scream「Movin' on Up」やThe Rolling Stones『Let It Breed』のような土臭く包容力のある(とは?)ロックの風味が感じられ、非常に好みだ。「インディーロックは死んだ」と囁かれた10年代後半、Bon IverはR&Bやヒップホップにかなり触発されたサウンドへ変化したが(Dirty Projectorsもそうらしいけど聴いてない)、VWは順当なアップデートをしたと言える。
それはもう、インディーロックが10年代初頭のように冒険的な新しい音楽ではなくなったことの証左なのかもしれないが、そういうものに安心感を覚えてしまう人間になってしまった。これも例えで出すだけ(で好きなバンド)だがWild NothingやReal Estateのようなドリーミーなネオアコ・ギターポップの現在形、みたいなのも非常に保守的な音楽だよな、と思う。
・きのこ帝国OUTでThe 1975の1stをINでも良かったかもと思いました。Cloud Nothingsとかも惜しいけどな。
andymori - ファンファーレと熱狂 (2010)
andymoriが解散してなければ、日本のロックは何か変わっていたか?というと何も変わらなかったと思うが(この話前にもしたな)、皆好きだったよなandymori。当時は、初期衝動を叩き付けつつも「Life in Party」のような真実を射抜くバラードも入っていた1stに比べると深みは増したものの大人しくなっちゃったな、と思って個人的評価は下げ目だった。小山田壮平の澄んだ詩情は、リバティーンズも、四畳半フォークも、バックパッカーも、教会のシスターも、渋谷の女子高生も、トラックの運ちゃんも、全て飲み込んでいく。
Wavves - King of the Beach (2010)
USインディ界のグリーン・デイ、みたいな音楽性が凄く好きだった。ラフでキャッチーなポップ・パンクと、リバービーな音像が同居するのは小さな発明だと思ったし、こういうバンドがやりたかったんだよ!と思った。Best Coastの人と付き合っているっていうのも良かった。The Drums、Girls、MGMT、The Morning Benders、Animal Collective、Times New Viking……。皆気だるくて夏っぽくて本当に楽しかった。これこそが俺のサード・サマー・オブ・ラヴだった。ローファイ・リバイバルとでも、ビーチ・ブームとでも、シットゲイズとでもいえばいいのだろうか、俺は2010年の茹だる夏に、完全に浮かれていた。
The Pains of Being Pure at Heart - Belong (2011)
俺がドリームポップみたいな宅録を作り始めた理由は、For Tracy Hydeの前身ユニットであるdaydropの存在が大きい。もちろんそれだけでなく前述のローファイブームみたいなところの影響もあるし、思い返せば明らかにシューゲイザーリバイバルは巻き起こっていた。それで、やはり自分も含めた有象無象のドリーム・ギター・ポップをやる奴らの精神的支柱となったのはペインズだろうと。Twitter始めるまで知らなくて、慌てて1stを買った記憶もある。『Belong』は、ヴァセリンズやエクスタシー&ワイン期のマイブラのような1stの音楽性から少し変化し、空間系エフェクトを使ったりシンセをちゃんと(?)ちりばめたり、大胆にスマパンを引用したりして、ロックバンドとしてスケールアップした快作である。そういう意味では1stよりもシューゲ/ドリームポップとも言える、とかとある媒体でも言われていた。2023年、アラフォー独身男性となった自分は今になって彼らが『Belong』と題した意味がよくわかる(「属する」という意味だが、ここでは「どこにも属せない」という孤独感をテーマにしたものだろう)。
ASIAN KUNG-FU GENERATION - ランドマーク (2012)
テン年代の始まりを告げた祝福のサウンド『マジックディスク』を経て、言葉遊び的なコンセプトで作り始めたアルバムが震災の影響により半ば瓦解し、とことんシリアスになっているし、音楽的にもマジックディスクを引き継く楽曲とギターロックに回帰した楽曲が入り混じっており、中途半端という評価もあるだろうが俺はそこが聴きどころだと思う。俺は皮肉屋な時の後藤正文が好きであり、本作にはボロボロになったこの社会(それは2023年の社会と何も変わらないのだが)の現状を描いた痛々しい言葉が多く書き留められているが、最後に彼は祈りを込めることを忘れない。行動無き祈りは無意味なのかもしれないが、俺は祈る。「喜びは流れる水のよう/救い上げたてのひらから/するりとこぼれ落ちた/それでも繰り返すように/ささやかに両手を濡らす」。
Galileo Galilei - PORTAL (2012)
世代的にBUMP OF CHICKENの影響から抜け出せなくても、それでも、英米のインディーロックと同等の感覚で音を作ることが出来る。勇敢な一枚だ。同時に、無邪気な一枚でもある。北海道に帰り(彼らの出身自体は稚内だが)、札幌で自らのスタジオで共同生活を送りながら、買い込んだ大量のシンセで遊び倒す生意気なガキ共。サカナクションがブレイクした時、テクノやダンスミュージックを取り入れていたころのくるりやスーパーカーがやった冒険をソフィスケートしたもののように感じてしまいモヤモヤしたことがあったが、この頃のガリレオ・ガリレイのほうが本質的にあの頃のくるり・スーパーカーに近いだろう。日本にシンパシーを感じるバンドはいないくらいのことをインタビューで言っていた記憶があり、本当に生意気でたまらなかった。岸田繁も「エイフェックスツイン聴いて勉強する、みたいな時期があった」らしいので、まさしくだねって感じ。多くの人が既に指摘するように「青い栞」はテン年代の「ばらの花」だろう。ガリレオにはこれ以降にも傑作はあるが、やっぱりこの魅惑的なサウンドスケープを超える盤は今のところは無いかな。
Washed Out - Paracosm (2013)
ブルックリンのインディー・ロックやシットゲイズ、シューゲイザー・リバイバル……そんな世界に飛び込んだ自分にとって、「チル・ウェイヴ」というブームにも自然と乗ることになった。インターネット発?エスケーピズム?最高じゃないか。だが、その音楽性を引き継ぎつつ現れた「ヴェイパーウェイヴ」には乗れなかった。あまりにアンダーグラウンドなシーンに見えたし、なぜ露悪的に日本の昭和のテレビCMをサンプリングし不気味なサウンドを作るのか、俺には分からなかった。サマー・オブ・ラヴを楽しんでいた俺だったが、新しいムーブメントに乗れなかった。俺にとってのロックの歴史はここで一度終わった。最後の正統なロックンロールアルバムはWashed Outの1st『Within and Without』となった…はずだった。だが、近年この2nd『Paracosm』を聴いたらこのトロピカルな南国感をスパイスにつつも王道のドリーム・ポップという趣だったのでこっちのほうが好きだわ!となった。1stはビートが強い曲も多くて、そりゃあ「チル」の部分だけじゃなく「ウェイヴ」の部分もあるわけだからねぇ(というよりはクラブミュージックってことなんだろうけど)、でも俺その部分要らないかもですわ、「チル」だけで十分っすとなった。じゃあ最初から大人しくドリームポップを聴けよ。
きのこ帝国 - フェイクワールドワンダーランド(2014)
今「クロノスタシス」がミーム化しているとはいえ、CMでカヴァーバージョンが流れたりダウ90000がコントで引用したりしているのは、まぁ普通に気分が良い。所謂オルタナティヴ・ロック的音楽が世間に受け入れられたわけではなく、佐藤千亜妃というSSWが受け入れられた、というだけのことであったとしても。まぁ世の中そんなもんだ。本作は、『渦になる』や『eureka』ほど怒ったり哀しんだりしているわけでもないが『タイム・ラプス』ほど呑気に人生を肯定しているわけでもない。ギターがジリジリと歪んでいる曲も多いが、『愛のゆくえ』に繋がっていくダビーな路線の「クロノスタシス」もある。ART-SCHOOLあたりのバンドから継承したであろう、爽快なギター・ロックに絶望的な詩が乗るスタイルの「Telepathy/Overdrive」はやはり最高だ。佐藤千亜妃という作家の多面性が詰め込まれた、というよりは単に過渡期だったのかもしれないが幸福な時期のアルバムで、「邦オルタナティヴ・ロック」みたいな言い方が仮にあるとするならそのテン年代の傑作だろう(『ロンググッドバイ』のような内容がフルアルバムで聴けたなら断然それが最高傑作だっただろうけど)。
cero - Obscure Ride (2015)
ちゃんと通して聴いたのは今年だ。唸る内容だった。ここ数年でようやくブラックミュージック/ファンク的なものに順応しつつあるのでようやく本作を多少理解出来る耳になった。方舟を座礁させる「Yellow Magus 」を聴くとどことなく現代人への警鐘を鳴らしているように思え、また、ネットで検索すればRadiohead『Kid A』『Amnesiac』との歌詞の共通点について考察する文章が出てくる通り、俺はそういう音楽として受け取った。ただ、生者と死者が入り混じる世界、転生、パラレルワールドをモチーフ(つーか裏設定?)とする歌詞にラノベっぽい軽さを感じなくもなくなくなくないが、それも日本版ってことなのだろう。この時期の彼らが「スチャダラパーとかっぽい」とか言われてSMAPと共演したのも、テン年代邦楽の幸福な瞬間の一つだったろうし、日本における90'sリバイバルのピークでもあっただろう。
本作の「もしディアンジェロをはっぴいえんどが演奏したら、をマジで取り組んだ」みたいな黄色人種的ファンク・ポップは未だに(シティ・ポップという言葉の範疇の一つとして)強い磁場を放っているように思えるし、実際本作は「偉業」だったと思うが、前作の『My Lost City』や本作以降の『POLY LIFE MULTI SOUL』『eo』を聴くと、彼らの本質はそこにはなく、この人達はもっとインディ・ラヴァーでかつ多種多様な音楽をパッチワークしていくバンドな気がする。それこそRadioheadがチャールズ・ミンガスのようなジャズからオウテカのような電子音楽までかき集めたように。
syrup16g - darc (2016)
ここまでのリストを読めばわかるように、EDMも東京インディーもアンビエントR&Bもなければヒップホップすら1枚も無いリストなのはもう許してほしい(トロピカルハウスはちょっと好きだった)(アンビエントR&Bだとソランジュはちょっと聴いてたが)。そういった保守的というか、俺の趣味というか、そういうものが一番出たチョイスがこのsyrup16gのアルバムだ。
休んでいた期間もあるもののコンスタントに作品をリリースし全国ツアーもするという、再結成後の今のほうが全盛期なのでは?とすら思う。00年代ギターロック界の冨樫義博なバンドだと思っていたので、これは本当に幸せな状況だ。10年代はsyrup16gが精力的に活動したディケイドと言っても過言では無い。過言か。
00年代にsyrup16gやART-SCHOOLを聴いていたような繊細な少年少女たちは、今どうしているだろう?よく考える。なんやかんや社会に溶け込んで幸せに暮らしているのか。バリバリ働いているのか。家庭を築いているのか。もう死んじゃってるのか。俺のように、ギリギリのところで生きているんだろうか、それはわからない。ガキの泣き事を歌うような青臭いロックバンドが年をとって大人にならざるを得なくなった場合、どうするのかということもよく考える(大人になる前に解散する、がベストアンサーな気もするが)。木下理樹は長い休養期間を経て、2023年においても過去に使ったモチーフをセルフ・オマージュすることでガキの泣き事を再生産した(悪い事だとは言っていない)が、対して五十嵐隆は、等身大とも言えるアラフィフの悲哀を歌っている。繊細な青年がそのまま年をとったら繊細なおっさんになったよ、へへへ、でもまだ生きてるぜ。必死に。そう言っているように聞こえる。俺は鉄砲を持っている。でも水鉄砲だ。人を殺すことは無いが、自分を守ることもない。でも鉄砲だ。へへへ。そういうことなんだろう。「Find the Answer」は完全に俺のような人間に対して歌われている。ロックの幻想を持ち続けたまま、繊細なまま社会と折り合いをつけて生きることについての歌だ。サビに入る瞬間のカタルシスはかつての彼らの名曲に全く劣っていない。
Vampire Weekend - Father of the Bride(2019)
インディーロックファンの最大公約数として、2nd『Contra』(2010年)を挙げようと思ったのだが、1stの「A-punk」や3rdの「Step」のようなキラーチューンが入ってないよなぁと個人的に思っていて、それならこの4thでいいじゃん!となった。もう4年も前になるのか…。
2008年の「A-punk」を初めて聞いたときは現代のネオアコか?とか思ったのだが俺のただの勘違いというか無知で、僕らの時代のトーキング・ヘッズみたいな評価のほうが正しそうだが、本作ではPrimal Scream「Movin' on Up」やThe Rolling Stones『Let It Breed』のような土臭く包容力のある(とは?)ロックの風味が感じられ、非常に好みだ。「インディーロックは死んだ」と囁かれた10年代後半、Bon IverはR&Bやヒップホップにかなり触発されたサウンドへ変化したが(Dirty Projectorsもそうらしいけど聴いてない)、VWは順当なアップデートをしたと言える。
それはもう、インディーロックが10年代初頭のように冒険的な新しい音楽ではなくなったことの証左なのかもしれないが、そういうものに安心感を覚えてしまう人間になってしまった。これも例えで出すだけ(で好きなバンド)だがWild NothingやReal Estateのようなドリーミーなネオアコ・ギターポップの現在形、みたいなのも非常に保守的な音楽だよな、と思う。
・きのこ帝国OUTでThe 1975の1stをINでも良かったかもと思いました。Cloud Nothingsとかも惜しいけどな。
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仕事しろよ
AV好きそう